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2006-11-08 Wed 23:37
少し古いネタになりましたが、まずはこちらを紹介。
西暦20060年、全宇宙の全原子状態を録画する装置が完成した。 http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061103/1162519650 劇場管理人さんによるSFです。これぞまさにシム宇宙なので、ぜひご覧ください。 宇宙の全情報の保存はシム宇宙に不可欠なので、私もいろいろ考えています。セーブデータが1つでは、いつ冒険の書が消えるかとハラハラしっぱなしでしょうから、いくつかセーブできないと困りますよね。では、その記録を行うための媒体はどのようなものになるのか、容量はいくら必要なのか、セーブ時にデータを圧縮しなければセーブデータの数だけ新しい宇宙が必要になるのか……などと考えているうちに、ふと↓こちらのエントリを思い出しました。 クロックは256bitで足りる http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50627674.html プランク時間やプランク長は、それぞれ時間と長さの最小単位、とお考えください。電荷にとっての電気素量みたいなものです (と言いつつ私も良く分かっていませんw)。 上の弾さんのエントリは、URLで "位置" を指定するサイバー空間は、時空より広いと考えることもできる、との内容であり、非常に興味深く拝見したことを覚えています。こちらもぜひお読みください。ただ、このエントリには何か違和感を感じていました。本日、宇宙の容量について考える傍ら自分で計算してみて、やっと違和感の理由が分かったので、当エントリで示させていただきます。 俗に言われる宇宙の直径は、現時点で地球から観測できる一番遠い場所までの距離 (137億光年) を半径と考えて、その2倍 (←半径を直径にするため) とされています。まずはこの宇宙の半径をメートル単位で求めてみましょう。『1光年 = 9.4608×1015 メートル』 なので、 1.37×1010 × 9.4608×1015 = 1.296×1026 m ですね (後の計算のため、有効数字は大きめにとっています)。 ただし、この値はあくまで地球から観測できる範囲を示しているだけであって、宇宙の本当の大きさではありません。「実際の宇宙の大きさがこの大きさである」、と主張するのは、天動説です。なぜなら、それは 「地球は宇宙の中心である」 という主張に他なりませんから。 まあでもとりあえずこの "見かけの" 宇宙の半径をプランク長で割ってみましょう。プランク長は 1.616×10-35 メートルとのことなので、 1.296×1026 / (1.616×10-35) = 8.02×1060 「あれ、どこかで見たことある数字が」 とお気づきになった方は鋭いです。これは、弾さんがお書きになっている、『宇宙の年齢をプランク時間で割った値』 と同じなんですね。よくよく考えてみれば、 プランク時間 = プランク長 / 光速 というプランク時間の定義を考えれば、一致するのは当たり前です。にもかかわらず、弾さんの計算結果は一致していません。これが、私が感じた引っかかりの原因だったようです。 本題に戻って、後は単に2倍するだけですが一応計算しておくと、『宇宙の "見かけの直径" をプランク長で割った値』 は、16.04×1060 となります。これは、弾さんの計算値の1/15であり、ずいぶん小さい値です。では、弾さんは宇宙の直径として、どのような値を使用されたんでしょう? Wikipediaのプランク長のページを見てみると、 とあります。弾さんによる値が 1.2×1062 のちょうど2倍であることは偶然ではないでしょう。弾さんは、この宇宙の大きさを半径と考え、2倍して2.4×1062という値を導かれたのではないでしょうか。 というわけで、検算のために、この 『推定の宇宙の大きさ』 をプランク長で割ってみます。これで万事解決!! のはず。 7.4×1026 / 1.616×10-35 = 4.6×1061 ……あれ? 1.2×1062 になりません。私、何か間違ってます? それとも、Wikipediaの間違いでしょうか? そもそも、宇宙の真の直径って、理論的には分かっているのでしょうか? 英語版Wikipediaには、「半径は 4.4×1026 m」と書かれていたりしますが、理解不能でした。私の理解では、インフレーションの具合でなんとでもなるという話だった気がするのですが……。どなたか詳しい方がいらっしゃいましたら、教えていただければ幸いです。 |
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2006-10-01 Sun 20:56
涼宮ハルヒの憂鬱
谷川 流 いとう のいぢ ![]() はい、そうです。いまさらハルヒです。流行おくれは重々承知ですが、このエントリは、単にハルヒ祭りに便乗して騒ぎたい人たちではなく、ハルヒが本当に好きな人、あるいは本当に嫌いな人、そして、いまだに「ハルヒって何?」と言っているような人にこそ読んでいただきたいので、この時期でちょうどよかったのかな、と思っています。 タイトルの件ですが、確かに、ハルヒは哲学というには無理のある点も多いと思います。また、哲学っぽい側面を持たせることで、萌えに対する抵抗感を和らげる、という意図もあるはずなので、まんまと相手の思惑に乗せられているのかもしれませんが、ライトノベルにしては哲学的な側面が多いという点は事実だと思うんですよね。 実際、ネット上を検索しても、内容の哲学っぽさに触れているサイトは数限りなく出てきます。しかし、残念なことにそのほとんどは、ただ「哲学っぽかった」と書かれているだけでした。少し頑張っているページでも「宇宙創造5分前仮説が入っていた」というところ止まりであり、何が哲学なのか、どこを哲学的と感じたのか、という詳細についてまとめたサイトは見当たりませんでした。まあ、ハルヒが萌えアニメとして支持を得ていることも否定しようのない事実ですので、哲学性について書くとキモオタ扱いされると思い、皆さん書くのを控えた、ということでしょうか。 本エントリでは、文庫版の "涼宮ハルヒの憂鬱" より、私が個人的に「哲学っぽいな」と思った箇所をピックアップし、紹介させていただきたいと思います。とはいえ、私は哲学の専門家でもなければ、哲学書を大量に読んだことがあるわけでもありません。したがって、当エントリで取り上げる内容は、高尚な哲学本に出てくるようなものではなく、子供から大人への成長の過程で誰もが普通に考えるようなものが中心となりますので、ご了承ください。 なお、激しいネタばれにはつながらないように可能な限り配慮はしたつもりですが、やはりどうしても多少は物語の重要部分に立ち入らざるを得ないところもありました。しかし、この程度のネタばれはすでに新聞の書評やネット各所にあふれていますので、あなたが「一切の先入観なしに原作を読みたい!!」という強いこだわりの持ち主でもない限りは、当エントリを読むことで原作の面白さが損なわれることはないと思います。 さて、唐突ですが、ここに2人の人がいて、それぞれが次のように発言したとします。あなたはどのような印象を受けますか? 『"私" 以上に有能な人間は、日本にたかだか100万人ぐらいだ。』 『"私" は、日本人の上位1%に入る有能な人材だ。』 「有能の定義がわからん」とか「年齢が違う相手とはどうやって比較するんだ?」等、ツッコミどころはたくさんあるとは思いますが、とりあえずここでは大目に見てください。いかがでしょうか? あまり深く考えずに読んだとき、上の文章には「100万人もいるのか。大したことないな。」と思ってしまうのに、下の文章を読んで、「99%の人間よりお前のほうが上だと!? 調子に乗るな!!」と思った人は少なくないのではないでしょうか。 しかし、実はこの2つの文章はほとんど同じことを述べています。100万人という大きな数に惑わされてしまいそうになりますが、よく考えてみれば、日本の総人口を1億2千万人とすると、その1%は、 1億2千万人 × 0.01 = 120万人 ですから、むしろ最初の発言者のほうが自惚れているくらいです。では、なぜ大差のない2つの文章を読んで、違う印象を受けたのでしょうか? その答えは、1億2千万人の日本人全体から見て、1人の人間がいかにちっぽけな存在か、ということが正しく理解されていないことにあります。口先では、「自然は雄大だ」「宇宙ヤバイ」などと言いながら、その実、自分の小ささを理解していない人が多いということです。 他にも例を挙げてみます。あなたの周りに、「私は、学生時代、○○の成績はクラスでトップだった」等と自慢している人はいませんか? その人が日本でどれほど優秀なのか、上と同様に考えてみると、 1億2千万人 ÷ 40 = 300万人 で、300万人ぐらいはいるわけです(40人学級と仮定)。しかも、クラスなんて毎年変わるわけですから、トップを取ったことがある人は実際にはもっともっと多いはずです。あなたの周りのうざい人に「お前と同じような人間は最低でも300万人いるんだが、どう思う?」言い、反応を見てみるのも面白いのではないでしょうか。 皆さんも、ぜひ同じようにいろいろな集合について考えてみてください。「東大生は大体人口の0.1%ぐらいなので、日本に十万人単位でいる」ことなども分かってくるはずです。普段はすごいと思っている人たちも、その数は意外と多いことが分かるはずです。 ここまで読んで、「その人たちは実はすごくなかったのか? 私は勘違いしてたのか?」、と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそんなことはありません。彼らはやっぱりすごいんですよ。でも、日本の人口が、そんなすごさをかき消してしまうほど多すぎる、ということです。私たちが日常的に付き合っている人々の数と比較して、日本の人口は余りに多く、世界は余りに広い、ということ。それだけですよ。 逆も見てみましょう。あなたが身近に感じている人たちの中には、とてつもない確率の壁を乗り越えてきた人たちがいます。例えば、プロ野球の1軍でレギュラーとして活躍する選手たちは、まあ、大雑把に1球団10人とすると全体で120人です。あるいは「あなたが知っている芸能人を1人でも多く列挙しててください」と言われて、あなたは何人挙げられますか? まあ、ぱっと思いつくのはせいぜい100人ぐらいではないでしょうか。 では、この人たちは、日本人の何分の1に相当するでしょう。計算すると、百万分の1になります(厳密には世代交代なども考えなければいけませんので、もう少し確率は高くなると思われますが、大雑把にはこんなものです)。なんと日本人の0.0001%です。これは、一流野球選手になることは東大生になるより1000倍難しいことを意味しています。子供のころ、「野球選手になりたい」なんて夢を語っていた人は多いと思いますが、その夢は東大生になるより1000倍難しいことだ、ということを、あなたはこのエントリを読む前に理解していましたか? 「日本人全員から1円ずつ貰えば、1億2千万円以上になるんだなあ」と妄想したことがある人が多いわりに、野球選手になる難しさについては正しく理解していない人が多い、ということは、面白いとおもいませんか? ネット掲示板やblogにおけるコメントの数などにも同じことが言えます。たかだか1000件の批判的コメントをもらったって、それは同一人物による重複カキコが無いと仮定しても、日本人の0.001%の人間の意見でしかありません。一部のネットオタクの批判を受けただけで、世界のすべてが敵に回ったかのような錯覚を覚えて創作意欲をなくしてしまうクリエイターや、断筆してしまうブロガーなどは、あまりにも世の中の広さに対する理解が足りないと思いませんか? (この件については、当blogのこちらのエントリもご参照ください) と、長々と書いてきましたが、これらは全て、私が "涼宮ハルヒの憂鬱" のp.224から始まるハルヒのモノローグを読みながら考えていたことです。さすがに長いので全文転載ははやめておきますが、要約すると、「ハルヒはある時、自分がいかにちっぽけな存在であるか、自分の身の回りで起こっていることがいかにありふれたことか、という事実に気づき、世の中のすべてが色あせたように感じた。だからそれ以降、人がまだ見つけていないような面白いことを積極的に探すようになった。」という内容です。どうしても読みたいという方は、次のサイトなどをご参照ください。 REVの雑記:長文コピペ? http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20060627#p1 余談ですが、実は、ハルヒのモノローグより前に、キョンが人間の多さについて語っているシーンもあるんですよね。この2人に共通の意識は、「つまんない世界にうんざりしていた」ことと同様に、ハルヒとキョンの関係に影響しているのでしょう。皆さんも、ぜひ探してみてください(ちなみに、アニメ版では削除されていますので、探しても見つかりませんよ。)。 このように、ハルヒには哲学的に考えさせられるような場面がある…と言うと、「そんなのどんな本にだってあるだろ!!」と反論されそうですが、このほかにもハルヒにはライトノベルらしい特徴があります。 1つは、哲学的な要素がむき出しで書かれている、ということです。高尚な本であれば、この手の哲学的要素は作品の中で表面に出てくることは無く、読んでいくうちにじわじわ実感させられる形で書かれていることが多いのですが、これでは、読解力の無い人は気づくことなく素通りしてしまう恐れがあります。これに対しハルヒは、例えば上述の例でもあからさまに「世界が大きくてびびった」と書かれており、その単純さゆえに誰でも哲学的要素に気づくことになります。 もう1つは、哲学的示唆に富んだ発言が、あっちこっちにちりばめられていることです。高尚な本では、このような哲学的テーマは1つに絞られていることが多いように思いますが、ハルヒにはあきれるほどたくさんの哲学的テーマが登場します。本当は、前述の『世界の広さ』というテーマのように1つ1つ細かく私の考えを書いていこうかと思っていたのですが、正直、ここまで書いてきて息切れしたので、他の部分は箇条書きでまとめてみました。なお、私の趣味で、哲学というか科学というかなんと言うか分からない箇所も含まれていますのでご了承ください。 アーサー・C・クラークの有名な言葉ですね。さて、あなたは科学と魔法の違いを語れますか? 物質に依存しない情報の記録、演算は可能でしょうか? その根拠は? この宇宙誕生五分前仮説を、あなたは否定できますか? あなたの過去の記憶は根拠になりませんよ。 この仮説を否定できますか? 個人的には、ハルヒ1巻の中で、モノローグに次いで2番目に重要な場面が、ここだと思っています。恋愛感情と精神病を一緒にされることに抵抗を覚える人は多いと思いますが、では恋愛と精神病の違いは? あるいは、正常と異常の違いは? 時間と空間の違いは? あなたは人間原理を否定できますか? 頭から否定せず、考えてみていただきたい。 ちょっと飛躍して考えてみます。今、重力定数が大きく変わったら、人類は絶滅するでしょう。なぜ物理定数、物理法則は変化しないのでしょうか? 類題として、なぜ科学では帰納による推論が成立するのでしょうか? 当blog的に言えば、シム宇宙論です。この仮説を否定できますか? 当blogのこちらのエントリもご参照ください。もう1つ、シム宇宙の創造主が、そのシム宇宙に内在する可能性はあるでしょうか? ページが前後しますが、この質問を最初に持ってきても意味不明なのでご容赦を。シム宇宙を仮定したとき、私たちの運命係数は今も誰かによって書き換えられていると思いますか? それとも、宇宙ができた後、創造主は私たちを見ているだけでしょうか? 前述の正常・異常論とほぼ同様です。ここでもう1つ問題提起。『涼宮ハルヒの憂鬱』をハルヒの成長物語、と要約して納得している人を見かけますが、ハルヒが若者らしく恋愛なんぞを楽しむ普通の少女になることは "成長" なのでしょうか? 妥協による異常から正常へのソフトランディングは、"成長" と言えるのでしょうか? あなたはこの『知性』の定義を受け入れますか? あるいは、あなたは『知性』をどのように定義しますか? 進化論的に考えれば、多くの人間に共通の感情が存在するのは、その感情が生存に有利であったからだと考えられます。たとえば、p.168の「死ぬのっていや?」という問いかけには、ほとんどの人は感情的に「嫌だ」と答えると思います。この感情が生存に有利だったことは言うまでもないでしょう。では、人間は進化のどの過程で「世界に愛着を抱く」という感覚を身に着けたんでしょう? そして、その感情はなぜ生存に有利に働いたのでしょう? (全人類がここのところを理解できれば、戦争は大幅に減るとおもうんですけどねえ…) 哲学というより論理学ですが、『トートロジー』の正確な意味、ご存知ですか? 問いではありませんが、興味深いので紹介。こんなことを考える作者だからこそ、ハルヒが生まれたんでしょうね。私も、読者の立場で同じことを考えたものです。図書館にある大量の本を見て、「とても全部読めない」と絶望に打ちひしがれたことがあります。 あの薄っぺらくて行間が広くて文字数の少ないライトノベルの中で、一連の物語として、これだけ多様な哲学的(?)問いを投げかけていることは評価されてもよいと思うのですが、いかがでしょう? 読者を答えへと導く努力を完全に放棄しているため、"哲学の入門書" と呼べるような内容ではありませんが、ティーンズにとって、本作品は "哲学的の入門書の入門書" の役割を果たしてくれるのではないかと期待してしまいます。 あるいは、上記の質問群に自分なりの答えを見出せなかった大人の皆さんも、今のうちにハルヒを読んで考えてみてはいかがでしょう。あなたが子供を授かったとき、子供に上のような問題を問われて答えられなかったら恥ずかしいですよ。 そして、「ハルヒは哲学だ!!」と主張する厨が身近にいて不愉快に思っている皆さん。ぜひ、上記の問いを、その厨にぶつけてみてください。「ハルヒは哲学」と主張しながら、実は哲学的側面なんて何にも考えておらず、単なる萌え物語として楽しんでいるだけの厨は、しどろもどろになることでしょう。もちろん、質問する前にあなたも自分なりに考えてみることをお忘れなく。 というわけで、まとめです。皆様にもぜひ原作を手にとっていただき、キョンのように何のかんのと文句を言いながらも(p.203 「何で俺は高一にして、世界の在り方などという哲学的な命題に直面しなければならないのだろう。」)、上記の問いについて考えつつ、作品を楽しんでいただければ幸いです。 「続きを読む」以降では、私が当エントリを書くにあたり参考にさせていただいたページ、面白いと思ったページなどを紹介させていただきます。本当は個別に紹介と感想も書きたかったんですが、ここまでで書くだけで力尽きました。申し訳ない。 なお、順番は重要度順ではなく、新しいものから順に並べているだけなので、「何でオレのページはこんなに下の方なんだ!!」というクレームはご容赦ください。 |
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2006-09-18 Mon 04:04
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2006-07-20 Thu 23:54
人生はゲームに過ぎないと考えたがる人たち
http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/ 20060719/1153306583 人生はゲームであることを忘れていたい人たち http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20060719#1153320203 お二人の意見が非常に興味深かったので乗っかってみます。当blogのタイトルにもある『シム宇宙』の概念を絡めて、第3の視点から書いてみます。 まず、この宇宙がシム宇宙であるかどうかは分かりません。しかし、シム宇宙でない場合については、すでにお二人によって詳しく語られていますので、ここではシム宇宙であると仮定して考えてみます。すると、「人生はゲームである」ということになります。ただし、あなたはプレイヤーでもなければ主役でもありません。シムシティにおける "住民その1" やシムアースにおける "生物その1" と同じ、単なる "宇宙の住人その1" です。RPGならさしずめ、"村人その1" でしょう。 「そんなことはない。私は『地球へようこそ』以外の言葉も話せるぞ!!」という意見もあるかと思いますが、それは『シム宇宙』というゲームが、そしてこのゲームが走っているゲーム機が、PS3やWiiに比べて遥かに高性能である、というだけのことです。あなたの細胞も感情も、ゲーム機のメモリーの中に存在するデータに過ぎません。そして、あなたの考えも、あなたが自分の意思で選択したと思っている行動も、すべてCPUにおいて行われた一連の計算の結果です(ちょっとした乱数の影響はあるかもしれませんが)。プレイヤーはあなたのことなんか歯牙にもかけず、今この瞬間もプレイヤーの観点で、主役としてゲームを楽しんでいることでしょう。 つまり、この宇宙がシム宇宙であれば、あなたも私も脇役なんです。シム宇宙では、たとえあなたが「私にとっては私が主役だ。それでいいんだ。」と考えても、それは単なる自己満足です。あなたがプレイヤーでもなく、プレイヤーと直接的な関係も持たない以上、あなたが脇役であるという厳然たる "事実" は揺るがしようがありません。 …さて、ここで以前の問いを繰り返してみます。ぜひご一考ください。 「あなたなら、このシム宇宙で何をしますか?」 ちなみに、fromdusktildawnさんによると、 とのことですので、本エントリもあまり信用されぬよう、ご注意を。 ●参考 ようやくblogのタイトル決定 シム宇宙ってどんなゲーム? シム宇宙の創造主は果たして全知全能なのか? |
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2006-06-11 Sun 22:31
ID論の説くデザイナーは超越者の名に相応しくない件について
http://blackshadow.seesaa.net/article/15920143.html 私は、「有史以後、最も多くの人間を戦死させた指導者は、ヒトラーじゃなくてキリスト(or マホメット)だろ!!」なんて過激な意見に同意してしまう (だからと言って、各宗教の良い面まで否定するつもりはもちろんありませんが) ような罰当たりな人間なので、創造主が超越者であろうが無かろうが困りはしないんですが、上記の記事を拝見して日ごろ考えていることがいろいろ噴出してきたので、久しぶりにシム宇宙論を書いてみます。シム宇宙については、以下の当blogの過去記事をご参照ください。 ようやくblogのタイトル決定 シム宇宙ってどんなゲーム? 過去記事でお示ししたように、私は、現状では「無からの宇宙誕生」や「進化論」を信じながらも「理神論(簡単に言うと、「神がビッグバンを起こした」という理論)」を否定はしない立場をとっており、またシム宇宙の種類によっては同時に「インテリジェント・デザイン(ID)論(「神が進化を助けた」という理論)」もありえない話ではない、と考えています。だからかもしれませんが、「理神論の神様はID論の神様より偉いのか?」と問われると、困ってしまいます。 シム宇宙を前提として、根拠も何も無い非科学的な思考実験を行ってみます。 神が宇宙の創造プロセスについてシミュレーションを行う理由としては、「私たち人間が地球シミュレータを使って明日の天気を予想しようとするのと同様、神も宇宙の行く末を理解していない」ということも考えられます。理神論の神であれば、何が起こるか分からないから、とりあえず各種物理定数をてきとーに決めてシミュレーションを走らせてみる。で、しばらく待って希望通りにいかなかったら、その宇宙は破棄してもう1度新しく宇宙を作り直す、なんて事をしているかもしれません。そう考えると、理神論の神は、人間を作り上げるまでに死屍累々どころか『死宇宙累々』とでも言うべき非効率的、かつ悲惨な虐殺を繰り広げているかもしれないわけで、そんなことならID論の神のほうがよっぽどマシってことになります。 余談ですが、最近知人に借りた本の中に、まさにこのプロセスについて書かれている本があったので紹介させていただきます。 順列都市〈上〉 グレッグ イーガン Greg Egan 山岸 真 ![]() 順列都市〈下〉 グレッグ イーガン Greg Egan 山岸 真 ![]() 作中では、私たち人間は "作られた側" ではなく "作った側" なので、私たちの住むこの宇宙の話とはちょっと違いますが、そのおかげで『人間が演じる全知全能でない神』が巧みに描かれる興味深い内容になっています。また、ネタはこれだけでなく「コンピュータに人格をダウンロード」とかあっていろいろ考えさせられる1冊ですが、あんまり書くとネタばれになるのでこのへんで。 話を戻しますと、シム宇宙にこだわらなくても、たとえば「人間が誕生するまで150億年待たなければいけなかった理神論の神と、手間はかけても既存の宇宙に短時間で思い通りの人間を作り上げたID論の神と、どちらが矮小化された神なのか?」と問われるとどうでしょう? やはり神の偉さは、何を基準に持ってくるかによって、判断が分かれるところではないでしょうか。 そう考えると、真の超越者は、ラッセルの『世界創造5分前仮説』を実現できる存在ということになりますかね。シム宇宙なら、さしずめデバッグモードといったところでしょうか。 ところで、「ID論の神はしょぼい」という意見は、神の全能さを証明したいトンデモID論者には有効な反論かもしれませんが、科学的にID論を主張しようとしている人や、ID論の宗教的意図を隠そうとしている人にとっては、反論にならないどころかむしろ都合の良い意見である気がしてちょっと気になりました。これについてはID論賛成派の意見を伺ってみたいところです。 |



